アンティークコインの定義は発行から100年以上とされていますが、アルバニアのコインは発行から100年に満たないものばかりです。
それでもアンティークコインとして市場を賑わせ、高額で取引されています。
その理由は何でしょう?
この記事ではアルバニアのアンティークコイン7選を紹介しつつ、その人気の秘密に迫ります。
アルバニアのアンティークコインに興味をお持ちの方にとって読み応えのある、内容の濃い記事です。
アルバニアアンティークコインの入門書として、ぜひご一読ください。
アルバニアのアンティークコイン購入前の基礎知識
歴史が浅いにもかかわらずアルバニアのアンティークコインがなぜ、人気を集めているのでしょう?
まずはアルバニアという、日本ではあまり馴染みのない国の概要からその理由を紐解いていきます。
アルバニアの位置・基本情報
アルバニアの正式名称はアルバニア共和国、ヨーロッパ の南東部にある バルカン半島西岸に位置します。
西にアドリア海を挟んでイタリアと面し、南東部はギリシアと接します。
イタリアもギリシアも隆盛を極めた歴史上の大国であるゆえに、さまざまな面で影響を受けたのはいうまでもありません。
国土面積は28,700㎢で日本の四国地方のおよそ1.5倍、人口は300万人ほどで大阪市より少し多いくらいです。
海岸部の平野以外は起伏があって山がちな地形が多く、国土の約7割が海抜300m以上、内陸部の国境地帯には2,000m級の山々が連なります。
山岳地帯の多い国土で、特産品として有機アスファルトがあります。
しかしながら、鉱物資源はインフラが乏しいため全体的に低調です。
国民の多くは農工業生産に従事したり、他国へ出稼ぎしたりして収入を得ています。
近年は南部海岸線のリゾート化が進み、観光資源として外国企業の進出が目立ってきました。
ベラトとジロカストラの歴史地区など名所も多く、世界遺産とあわせた観光業に期待が集まっています。
アルバニアの歴史
現在のアルバニアの位置が歴史上、国として確認できるのは紀元前3世紀、イリュリア人によるイリュリア王国が最初です。
しかし、独立国として長くは続かず、紀元前2世紀にはローマ帝国に征服されてしまいます。
そして紀元後4世紀になると、ローマ帝国の東西分裂と共に東ローマ帝国に帰属します。
以下、年表を参照ください。
年譜 | 歴史事象 | 背景 |
---|---|---|
4世紀末 | 東ローマ帝国に帰属 | ローマ帝国の東西分裂による |
15世紀 | オスマン帝国の侵攻を受ける | スカンデルベグ(1405~1468)の活躍により侵攻を退ける |
1480年 | オスマン帝国に併合される | 以後、400年にわたる支配が続き、キリスト教からイスラム教への改宗が広まる |
1878年 | プリズレン連盟の結成 | 脱オスマン支配の民族運動の高まり |
1912~1913年 | 第一次バルカン戦争勃発 | セルビア・モンテネグロ・ギリシャ・ブルガリアなど、周辺国のバルカン同盟によるオスマン帝国との戦争 |
1914年 | アルバニア公国の成立 | ドイツ貴族のヴィルヘルム・ツー・ヴィートを公に迎え、オスマン帝国から独立 |
1914~1918年 | 第一次世界大戦 | ヴィルヘルム公が国外逃亡し無政府状態になる |
1925~1928年 | アルバニア共和国の成立 | ユーゴスラビアの援助を受けたアフメド・ゾグが大統領に就任し共和国宣言 |
1928年 | アルバニア王国の成立 | ゾグ大統領が国王となり、中央集権化を進める |
1939年4月 | イタリア王国による支配 | ゾグは王妃と共に国外脱出アルバニアの王位はイタリア国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が継承 |
1939年9月~ | 第二次世界大戦勃発 | ドイツとソ連によるポーランドへの侵攻が発端とされる |
1940年 | ギリシア・イタリア戦争 | アルバニア国土が戦場となる |
1943年 | ナチス・ドイツによる支配 | 9月に連合国に降伏したイタリアに代わりナチス・ドイツが侵攻 |
1944年 | ドイツ軍撤退 | 反ファシスト共産党部隊が勝利する |
1945年 | 第二次世界大戦終結 | 国連統計によるアルバニアの負傷者は数十万人、死者は約3万人 |
1946年 | アルバニア人民共和国の成立 | 共産党書記長エンヴェル・ホッジャが首相となり、スターリン主義による共産主義政権を樹立 |
1948年 | ユーゴスラビアとの国交断絶 | スターリン主義とのイデオロギー対立による |
1961年 | ソ連との国交断絶 | スターリン死後、批判が高まり、中国に傾倒 |
1967年 | 無神国家宣言 | 中国の文化大革命に刺激され、一切の宗教活動を禁止 |
1968年 | ワルシャワ条約機構からの脱退 | 国民皆兵政策により国民のほとんどに銃器を所有させる |
1976年 | アルバニア社会主義人民共和国となる | 社会主義の強化 |
1980年代 | 欧州一の最貧国と呼ばれる | 度重なる国交断絶と敵対意識により鎖国状態 |
1991年 | 再びアルバニア共和国に改名 | ラミズ・アリアによる開放路線、民主化が進む |
1991年12月 | ソビエト連邦の解体 | 欧州の社会主義崩壊 |
1997年 | アルバニア暴動 | ネズミ講が横行し、国民の大半が破産したため暴動が起きる |
2009年 | NATO加盟 | |
2014年~ | EUへ加盟申請 | 申請継続中 |
アルバニアは歴史に翻弄されつづけた国です。
一時はヨーロッパ最貧国と揶揄されたこともありましたが、4つの世界遺産登録と海岸都市のリゾート化で世界中から観光客が訪れるようになりました。
アルバニアは欧州における未開発の地であり、アンティークコインはもちろん、観光や鉱物資源などさまざまな面で今後の成長が期待される国です。
アルバニアのアンティークコインおすすめ7選
アルバニアを代表するアンティークコインは以下の7種です。
- ゾグ1世/古代戦車 100フランガ アリ金貨
- ゾク1世 20フランガ アリ金貨
- ヴィットリオ・エマヌエレ3世 5レック銀貨
- アルバニア第一共和国 2フランガ アリ銀貨
- アルバニア 鉄道42周年記念 50レケ銀貨
- スカンデルべグ 20フランガ アリ金貨
- アルバニア国立銀行 ローマ造幣局試作貨 13枚セット
それぞれ発行年度の時代背景とあわせて深堀解説します。
アルバニアのアンティークコイン|ゾグ1世/古代戦車 100フランガ アリ金貨
端正な顔立ちのゾグ1世の左向きの肖像画と、裏面に2頭の馬が引く古代戦車が描かれたアンティークコインです。
以下が基本情報になります。
コイン名 | ゾグ1世/古代戦車 100フランガ アリ金貨 |
発行国 | アルバニア |
発行年 | 1926~1927年 |
額面 | 100フランガ アリ |
長径 | 35mm |
量目 | 32.26g |
品位 | 900Gold |
価格は、ある通販サイトでの販売価格を参考にしています。
ゾグ1世の肖像の首下に2つの星マークがあるタイプと、星マークのないタイプがありますが、取引価格はどちらも変わりません。
アルバニアの代表的なアンティークコインといってよいでしょう。
ゾグ1世とは
ゾグ1世はアルバニア王国を建国した国王です。
正式にはアフメト・ベイ・ゾグといい、オスマン帝国のマティ族の族長の出身です。
1920年のスレイマン・デルヴィナ政権のとき、内相として初入閣します。
1922年に首相を兼任すると、強引な人事でたちまちのうちに政府の実権を掌握します。
しかしながら、反発勢力による蜂起で一時国外逃亡。
その後、ユーゴスラビアなどの援助を受けながら軍を率いて帰国、アルバニアの政権を奪還します。
1925年に共和国宣言すると大統領に就任、1928年9月1日に憲法改正しアルバニア初の国王となりました。
圧倒的な政治力で権威主義を敷く一方、法の整備を進めてアルバニアの近代化を図ります。
1939年4月、険悪となっていたイタリアからの侵攻を受けるとギリシアへ亡命します。
その後イギリス・フランスと亡命生活は続き、1961年パリで永眠しました。
大統領から王へ、またたく間に権力を強化していった強引な政治に反発も多かったゾグ1世ですが、民法や刑法の導入などの近代化政策を推し進めました。
アルバニアの発展に貢献したことは間違いないでしょう。
特にアンティークコインに関しては、ゾグ1世を抜きには語れません。
1926~1927年当時のアルバニア
1926~1927年当時のアルバニアは、良くも悪くもゾグ1世の政治に翻弄された時期といえます。
ゾグ1世のカリスマ性と大いなる野心は、アルバニアの政治シーンに多大なる影響を与えました。
氏族の武装解除、ナショナリズムの提唱、法の整備などが進み、国力の維持・安定化が図られます。
しかしながら、対岸のイタリアからの圧力が増してきます。
ファシストが大勢を占めるイタリアからの影響を懸念したゾグ1世は、1927年11月にイタリアと攻守同盟を締結し、ひとまずの緊張緩和を図りました。
アルバニアのアンティークコイン|ゾク1世 20フランガ アリ金貨
ゾク1世 20フランガ アリ金貨は、ゾグ1世とアポニー・ゲーラルディネとの結婚を記念して発行されたアンティークコインです。
以下が基本情報になります。
コイン名 | ゾク1世 20フランガ アリ金貨 |
発行国 | アルバニア |
発行年 | 1938年 |
額面 | 20フランガ アリ |
長径 | 21mm |
量目 | 6.45g |
品位 | 900Gold |
ゾグ1世/古代戦車 100フランガ アリ金貨が左向きの肖像画であるのに対し、こちらは右向きの肖像画となっています。
裏面はアルバニア紋章です。
高いデザイン性はもちろん、発行枚数がわずか2,500枚という希少性がコインの価値をいっそう高めています。
マニア垂涎のアンティークコインです。
アポニー・ゲーラルディネとは
ゾグ1世と結婚したアポニー・ゲーラルディネはハンガリー貴族の出身です。
貴族出身ですが決して優雅な生い立ちだったわけではありません。
ハンガリー帝国の崩壊や伯爵であった父の死、母の再婚などを経て資産が底をつくと、タイピストや博物館の売り子などをして働いたこともあります。
苦労の反動なのでしょうか、1937年に妹の紹介でアルバニア国王ゾグ1世と出会うと、その数日後に婚約します。
結婚式は1938年の4月27日、その記念に発行されたのが20フランガ アリ金貨です。
結婚記念にヒトラーからメルセデスベンツが贈られると、国王夫妻はその車でハネムーンに出かけたというエピソードが残っています。
翌年の1939年、イタリアによるアルバニア侵攻が激しさを増し、ゾグ1世とゲーラルディネは国外脱出せざるを得なくなります。
王妃としての生活はわずか1年で終わり、諸国での亡命生活を余儀なくされました。
そして2002年、アルバニアへの帰国が許された年の10月にティラナの陸軍病院で息を引き取ります。
1938年当時のアルバニア
1938年当時のアルバニアは、イタリアの影響が徐々に増していった時期です。
1932年の世界恐慌で経済が破綻したアルバニアは債務返済が困難となり、主要な貿易国であるイタリアに相談を持ち掛けます。
当時のイタリアはファシストのムッソリーニ政権でした。
ムッソリーニは関税引き下げを提案し、その代償としてイタリア人の入植を認めさせます。
イタリア人の入植はさまざまな面で刺激にはなりましたが、ムッソリーニ政権によるファシズムの台頭は不安要素でもありました。
同年3月30日のイタリア議会でイタリア軍の指揮を承認されたムッソリーニは、軍を率いてアルバニアに侵攻、やがてアルバニアはイタリアに併合されることとなります。
アルバニアのアンティークコイン|ヴィットリオ・エマヌエレ3世 5レック銀貨
ヴィットリオ・エマヌエレ3世 5レック銀貨は、アルバニアがイタリアに占領されていた1939年に発行されたアンティークコインです。
以下がヴィットリオ・エマヌエレ3世 5レック銀貨の基本情報です。
コイン名 | ヴィットリオ・エマヌエレ3世 5レック銀貨 |
発行国 | アルバニア |
発行年 | 1939年 |
額面 | 5レック |
長径 | 23mm |
量目 | 5g |
品位 | 835Silver |
ヴィットリオ・エマヌエレ3世は、アンティークコインの収集家・研究家として知られ、その審美眼は高く評価されています。
ヴィットリオ・エマヌエレ3世のコインというだけで付加価値がつくほどです。
アンティークコインの、ひとつのブランドといっても過言ではないでしょう。
ヴィットリオ・エマヌエレ3世とは
ヴィットリオ・エマヌエレ3世は、20世紀前半のイタリアの国王です。
サヴォイア朝の第3代イタリア国王として1900年から1946年の46年間もの長期にわたり王として君臨しました。
同時期にエチオピア皇帝・アルバニア国王・モンテネグロ摂政を兼任します。
第一次・第二次世界大戦中は、主要参戦国の指導者として影響力を発揮、全体主義者のムッソリーニとも密接な関係を築きます。
イタリアの植民地版図をもっとも拡大した王として、イタリア王の他に、アルバニア国王・エチオピア皇帝・モンテネグロ国王・クロアチア国王の王位称号をサヴォイア家の権利とします。
その後、第二次世界大戦で戦況が危うくなるとムッソリーニを放逐、自身は大戦後の王政廃止によりエジプトへ亡命、1947年にアレクサンドリアで病没しました。
ヴィットリオ・エマヌエレ3世はアルバニア国王時代のコインに加え、イタリア国内においても下記のようなコインを発行しています。
- 豊穣の女神 1912年~1927年発行の100リラ金貨
- ファシスト政権誕生1周年記念100リラ金貨 1923年
- 在位25年記念100リラ金貨 1925年
- サボイ家紋章5リレ銀貨 1901年
- クアドリカ5リラ銀貨 1914年
いずれもアルバニアのアンティークコイン同様、発行以来100年に満たないコインですが美術的価値が高く、高額で取引されています。
1939年当時のアルバニア
1939年のアルバニアはイタリアの支配下にありました。
アルバニアの全土がイタリアとなり、ゾグ1世は妻のゲーラルディネと国外逃亡、王位はイタリア国王である ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が継承します。
その結果、アルバニアとイタリアは同君連合となり、政策や思想、文化などあらゆる面においてイタリアの影響を受けることになります。
1939年9月のドイツ・ソ連によるポーランド同時侵攻を発端とされる第二次世界大戦はイタリア支配下のアルバニアにも大きな影響を及ぼしました。
アルバニアを挟んだイタリアとギリシアとの緊張が高まりを見せます。
そして翌1940年にギリシア・イタリア戦争が勃発し、アルバニア国土は戦場となります。
アルバニアのアンティークコイン|2フランガ アリ銀貨
アルバニア第一共和国 2フランガ アリ銀貨は、アルバニアがゾグ1世により共和国宣言し、共和国となった時代に発行されたアンティークコインです。
現在のアルバニア共和国と区別するために、アルバニア第一共和国と表記しています。
基本情報は以下のとおりです。
コイン名 | アルバニア 第一共和国 2フランガ・アリ銀貨 |
発行国 | アルバニア |
発行年 | 1926年 |
額面 | 2フランガ アリ |
長径 | 27.5mm |
量目 | 10g |
品位 | 835Silver |
コインの表面には種まきをする男が描かれ、裏面は翼を折りたたんだ鷲が描かれています。
当時のアルバニア共和国としての存在はわずか3年間でした。
短い期間で発行枚数も5万枚と少ないため、希少性の高い価値あるアンティークコインといえるでしょう。
アルバニア 第一共和国とは
アルバニア第一共和国とは、1925~1928年当時のアルバニア共和国を現在のアルバニア共和国と区別するための呼称です。
正式にはアルバニア共和国であり、1925年のアフメド・ゾグの大統領就任に伴う共和国宣言によって成立しました。
第一次世界大戦で戦場と化したアルバニアは、当時の君主であるドイツ貴族ヴィルヘルム公の逃亡により大戦後はイタリアの委任統治となります。
1920年1月のパリ講和会議において、アルバニア公国の領土をユーゴスラビア・イタリア・ギリシャに分割譲渡する決定が下されますが、アルバニア人はこれを拒否しました。
国としての独立は勝ち取ったものの政府の混乱は続き、やがて野心家であるアフメド・ゾグが台頭を表してきます。
ユーゴスラビアの援助を受けたアフメド・ゾグは大統領に就任し、アルバニアの国内安定と近代化への政策を推し進めます。
しかしながら、徐々にイタリアからの圧力が増してきたために、国内の管理を強化せざるを得なくなりました。
そして1928年、自らがアルバニア王となり、アルバニア王国を成立させます。
アルバニア第一共和国は滅び、再び君主国家となりました。
1926年の時代背景
1926年のアルバニアはアフメド・ゾグ大統領による政策が推し進められ、国内は活気に満ちていました。
法の整備が進み、氏族の武装解除の他、、南北における言語や社会環境の格差を解消すべくナショナリズムが推進されました。
アルバニアの代表的なアンティークコイン、ゾグ1世/古代戦車100フランガ アリ金貨も発行されています。
日本では12月に大正天皇の崩御があり、元号が大正から昭和に変わります。
1926年は、アルバニア・日本共に、第一次世界大戦後からの変革の年といえるでしょう。
アルバニアのアンティークコイン|鉄道42周年記念 50レケ銀貨
アルバニア鉄道の42周年を記念して作られた直径65mmの大型銀貨です。
以下が基本情報になります。
コイン名 | アルバニア 鉄道42周年記念 50レケ銀貨 |
発行国 | アルバニア |
発行年 | 1988年 |
額面 | 50レケ |
長径 | 65mm |
量目 | 168.15g |
品位 | 925Silver |
表裏共に列車がトンネルを通過する様子を描写したユニークなデザインのコインです。
裏面には、REPUBLIKA SOCIALISTE E SHQIPËRISE(アルバニア人民社会主義共和国)の銘が入っています。
直径65mmという、大型の銀貨でありコレクション向きです。
コインマニア、特に鉄道マニアにとっては垂涎のアンティークコインといえるでしょう。
アルバニア鉄道とは
アルバニア鉄道とはアルバニアの国営鉄道をいい、1945年に設立された鉄道会社です。
ちょうど第二次世界大戦の終戦の年にあたり、他の東欧諸国同様、社会主義国家として交通インフラの整備が急務だったと推測されます。
メインのターミナル駅は港湾都市のトゥラスです。
トゥラス駅を中心とした路線網は現在3路線のみ、首都ティラナへは支線が延びています。
その他、ポグラデツ、ヴィオル、シュコドラに達しています。
1980年代には、貨物専用ながらシュコドラを越えてモンテネグロとつながりました。
マケドニアやギリシャとの鉄道の接続はありません。
1988年当時のアルバニア
1988年当時のアルバニアは欧州最貧国からの脱却を図ろうとし、国としての再起を模索していた時期です。
第二次世界大戦後、共産主義者のエンヴェル・ホッジャが首相に就任したアルバニアは、
スターリン主義による社会主義国家としての基盤を固めていきました。
ホッジャの長期政権は徐々に独裁色を増し、1961年にソ連で反スターリン運動が高まるとソ連と国交断絶、周辺諸国との国交もなく1980年代はほぼ鎖国状態となります。
欧州最貧国といわれたのはこの時期です。
国民のフラストレーションは限界に達し、各地で反政府デモが行われました。
1985年のホッジャの死後、後継者に指名されたラミズ・アリアが、アルバニアの改革に乗り出し開放的な政策を行います。
現在のアルバニアは民主化の道を歩み市場経済を導入、EUへの加盟申請中です。
アルバニアのアンティークコイン|スカンデルべグ 20フランガ アリ金貨
スカンデルべグ 20フランガ アリ金貨は、15世紀のオスマン帝国の侵略からアルバニアを守った英雄スカンデルべグをモチーフとしたコインです。
ゾグ1世時代の1927年に発行されました。
表面にスカンデルべグの右向きの肖像、裏面には翼の生えたベネチアライオンが描かれています。
以下がコインの基本情報です。
コイン名 | スカンデルべグ 20フランガ アリ金貨 |
発行国 | アルバニア |
発行年 | 1927年 |
額面 | 20フランガ アリ |
長径 | 21mm |
量目 | 6.45g |
品位 | 900Gold |
試作金貨以外での発行枚数が非常に少ないといわれ、希少性の高いアンティークコインです。
スカンデルベグとは
スカンデルベグとは、15世紀のアルバニアの領主です。
当時ヨーロッパ中から「トルコの脅威」と恐れられたオスマン帝国に屈しなかった英雄として称えられています。
1405年に中部アルバニア領主の息子として生まれますが、オスマン帝国の侵攻により父の領土は奪われ、人質としてオスマン帝国で育てられます。
父がアルバニアの領主であった血筋もあったのでしょうが、スカンデルベグは他の兄弟より群を抜いて才気に溢れた少年として成長し、トルコ人から「アレクサンダー」と呼ばれるほどでした。
1443年、ハンガリーのヤーノシュがオスマン帝国に反旗を翻すと、オスマンのムラド2世は鎮圧軍としてスカンデルベグを送ります。
表向きでは、スカンデルベグはヤーノシュに負けてしまうのですが、すでに2人は反オスマン帝国で結託していたのでした。
やがてオスマン帝国の支配下でアルバニアの軍司令官として、かつての父の領土を与えられたスカンデルベグはオスマンの軍を次々と鎮圧し配下に収めます。
ました。
母国を取り戻したスカンデルベグは、以来25年間、あらゆる戦術を駆使してオスマン帝国に抵抗し、アルバニアの独立を維持しました。
スカンデルベグ時代のアルバニア(1400年代~)
1400年代のアルバニアは、オスマン帝国の脅威にさらされ、そして徹底抗戦した時代です。
バルカン半島の周辺国が次々とオスマン帝国の支配下に置かれる中、アルバニアのスカンデルベグはキリスト教勢力の力を借りながらゲリラ戦術によって抵抗しました。
ところが1447年にはベネチア帝国と険悪になり、アルバニア・ベネチア戦争が勃発します。
アルバニアは2つの帝国と戦わざるを得なくなったのです。
けれどもスカンデルベグは、変幻自在の戦術でベネチアにもオスマンにも連戦連勝します。
やがて1年後にベネチアより平和条約の打診があり、さらにオスマン帝国側から「10年間の期限付き平和条約」を打診されます。
スカンデルベグは、ベネチアとは和解しましたがオスマン帝国の打診は拒否し、徹底抗戦しました。
最終的には、スカンデルベグの死後12年経った1480年、アルバニアはオスマン帝国に併合されてしまいます。
しかし、スカンデルベグの25年間の抵抗によりオスマン帝国のヨーロッパ中央部への進出が遅れたのは間違いありません。
スカンデルベグは、アルバニアの独立を死守しただけでなく、ヨーロッパ・キリスト教世界を救った英雄として欧州の各国から賞賛を浴び、後世に語り継がれています。
アルバニア国立銀行 ローマ造幣局試作貨 13枚セット
アルバニア国立銀行のローマ造幣局試作貨 13枚セットは、1927年に発行された試作コインです。
その中で唯一ローマ造幣局が選ばれたことを記念して、13枚セット発行されました。
しかも、限定での発行でした。
知られているかぎりではイタリア国王とゾク大統領、イタリアとアルバニアの首相、そしてイタリアの5つの主要銀行のトップに贈呈されたということです。
贈呈用セットのため、情報が乏しい点、何卒ご了承ください。
コイン名 | アルバニア国立銀行 ローマ造幣局試作貨 13枚セット |
発行国 | アルバニア |
発行年 | 1927年 |
試作貨幣としての限定発行のため、市場に出回ることはほとんどありません。
確認できているのは30年の間に1度きりです。
ただでさえ希少性の高いアルバニアの貨幣の中でも、群を抜いて希少性の高い貨幣セットといえます。
次の出品が待たれるところです。
アルバニアが魅力的なアンティークコインを生み出した理由
100年に満たないアルバニアのアンティークコインはなぜ人気が高いのでしょう。
その理由として、以下の3つが考えられます。
- 希少性
- 時代背景
- 美意識
それぞれについて解説します。
希少性
アルバニアが独自の国としてコインを発行したのは1900年代になってからです。
アンティークコインの定義である発行以来100年経過には当てはまりません。
しかしながら、独自性の高いコインが多く、限定発行などの措置もあり希少性の高いコインとして人気を集めています。
アルバニア鉄道42周年記念コインが7,500枚、ゾグ1世の結婚を記念して1938年に発行された20フランガ アリ金貨はわずか2,500枚です。
アンティークコインの希少性が、時の経過と共に増すのはいうまでもありません。
アルバニアのアンティークコインの希少性がいっそう増し、さらなる高価格での取引が推測されます。
二度とない時代背景
アルバニアのアンティークコインの発行年は、アルバニア鉄道42周年記念コインの1988年を除くと、ゾグ1世とヴィットリオ・エマヌエレ3世の時代に集約されています。
1900年代前半、人類の歴史上稀有であり二度とあってほしくない世界大戦の時代です。
明日をも知れない時代だったからこそ、短い期間に集中し、価値の高いコインを発行できたともいえます。
ゾグ1世、ヴィットリオ・エマヌエレ3世ともに精力的な野心家であると同時に、高い美意識の持ち主でした。
希望に燃えて建国し、国の安定を求め、国を豊かにするためにコインを発行したに違いありません。
ゾグ1世、ヴィットリオ・エマヌエレ3世、それぞれの政治的手腕についての功罪の評価はさまざまです。
しかしながら、アルバニアのアンティークコインの価値を高めた功績は大きいでしょう。
侵略と独立で磨かれた美意識
アルバニアは紀元前のイリュリア人による建国以来、常に大国の侵攻を受け、併合と独立を繰り返してきました。
安易に大国に屈しない頑なさは閉鎖性にもつながりますが、それゆえに感性が研ぎ澄まされてきたとも捉えられます。
むしろ大国の支配下に置かれた時期の方がはるかに長く、入れ代わり立ち替わりの支配により、多様な宗教・芸術・文化の融合が見られます。
ゾグ1世の美意識の高さもさることながら、ヴィットリオ・エマヌエレ3世はコイン収集家・研究家として知られ、イタリア国内でも多数のコインを発行しています。
ヴィットリオ・エマヌエレ3世の審美眼により、アルバニアのアンティークコインはいっそう研ぎ澄まされたのかもしれません。
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インフレ時代を乗り切る強い味方とも言える「アンティークコインでの資産運用」について、
アンティークコインの魅力や市場価値・過去10年間の価格推移などについて詳しく解説しております。
アルバニアのアンティークコインの購入方法
アンティークコインを購入するには、主に以下の2つの方法が用いられます。
- コイン専門店で買う
- オークションや通販サイトで買う
ただし、アルバニアのアンティークコインは極めて流通枚数が少なく、人気も高いため市場に出回ることは稀です。
つぶさにチェックする必要があるでしょう。
下記は、とあるコイン販売サイトの販売価格です。
コイン名 | 販売価格 |
ゾグ1世/古代戦車 100フランガ アリ金貨 | 63~98万円 |
ゾク1世 20フランガ アリ金貨 | 22万円 |
その他、ヤフーオークションや楽天市場でも数万円〜数十万円で販売されています。
比較的購入しやすい価格帯とはいえ、個人販売も多く出所が不確かなコインも少なくありません。
オークションや通販サイトでの購入はある程度知識を蓄えたうえで、慎重に検討しましょう。
初心者の方はコイン専門店でスタッフのアドバイスを受けながら、予算の範囲で購入するのが賢明です。
まとめ|アルバニアのアンティークコインの購入は今が旬
島国である日本からは想像もできないほど時代の波にもまれ翻弄され続けたアルバニア。
であるからこそ、感性が研ぎ澄まされ、高い美意識でコインが発行されたのかもしれません。
束の間の平和を満喫するかのように美術的価値の高いコインが発行されています。
けれども平和は長くは続きません。
そして、それゆえにコインの希少性が増します。
発行後数年しか経っていないアルバニアのアンティークコインが、高額で取引される理由です。
コロナ禍、ウクライナ情勢、中東戦争など世界情勢の緊張はいっそう高まっています。
希少性の高いアンティークコインの資産価値も高まることが予想されます。
マネートレンドNaviでは、アルバニアのアンティークコインについて、本記事より深く広く情報発信しています。
効率的な資産運用をお考えの方はぜひ、マネートレンドNaviの公式LINEをお友達追加してみてください。