複雑な歴史があり、為政者だけでなく文化面でも活躍した人物が描かれたものも多いことからハンガリーのアンティークコインは世界的にも人気があります。
希少性が高まるに従って価値が上昇することが期待されるため、コイン投資を考えている人はハンガリーのアンティークコインもチェックしてみましょう。
この記事ではコイン投資をする上で必要なハンガリーの歴史の概要や、コインに関する知識、ハンガリーの歴史上人物、コイン投資をする上でおさえておきたい経済用語等を解説します。
ハンガリーの歴史
アンティークコイン投資では発行された国と、その時代背景を把握することが成功するかどうかの鍵になります。
そのため以下ではハンガリーのおおまかな歴史の概要を解説します。
建国まで
日本語では「ハンガリー」と呼びますが、これは英語での呼び方であり現地では国名を「マジャール」、国民を「マジャール人」と呼んでいます。
マジャール人は元々ウラル山脈西部で遊牧生活を送っていたウラル語族に属する民族です。
1世紀、ローマ帝国が現在のハンガリーがある地域に属州パンノニアを置きましたが、ローマ帝国の衰退に伴いゲルマン人の移動が始まったことにより、4世紀ごろからゴート族をはじめとする様々な民族が定着しました。
さらに5世紀あたりにはハンガリー人の祖先となるマジャール人がこの地に定着し始めます。そしてマジャール人はテュルク系ブルガール人との混合を繰り返しながら勢力を拡大し、現在のハンガリーであるパンノニア平原に定住しました。
騎馬を得意としていた民族であるマジャール人は、ヨーロッパ中・東部を蹂躙し、当時の海で恐れられていたヴァイキングと同等に畏怖される存在でした。
ハンガリー王国の誕生
ヨーロッパ諸国にとって異民族・異教徒であるマジャール人は脅威的な存在でしたが、955年にレッヒフェルトの戦いで神聖ローマ帝国のオットー1世に敗れたことによりそれまでのシャーマニズムによる自然崇拝を捨て、カトリックに改宗します。
この改宗によってマジャール人はキリスト教の影響をより強く受けるようになり、1000年に本格的にキリスト教に改宗したことを受け、ローマ教皇からハンガリー王国として認められ、ヨーロッパの一員となります。
その後ハンガリー王国は北部のスロヴァキア、南部のクロアチア等を支配下に入れ、勢力を伸ばしました。
モンゴル帝国の駆逐
1240年、ハンガリーは当時猛勢を誇り、日本にも影響を及ぼしていたモンゴル帝国のバトゥによる侵略を受けます。これによりハンガリー国内では防衛意識が高まり、城塞の建築が進められると同時に防衛機能を持つ都市が形成されました。
この時の名残は現在もハンガリー各地に残っており観光地としても人気があります。
オスマン帝国による征服とハプスブルク家との関係
14世紀になるとオスマン帝国が勢いを伸ばします。
ハンガリーは連合十字軍を組織しこれに対応するものの、オスマン帝国の勢いを止めることができず、1526年のモハーチの戦いではハンガリー国王であるラヨシュ2世が戦死するという事態に陥りました。
この敗戦後、ハンガリーは勢力を拡大させたオスマン帝国の直轄地となり、トランシルヴァニアは保護領として征服されることとなり、ハンガリーはハンガリー王国の王位を姻戚関係にあり、当時ヨーロッパで勢力を伸ばしていたハプスブルク家に継承させることで王朝断絶の危機を乗り越えようとします。
その結果ハンガリーはオスマン帝国とオーストリア・ハプスブルク家による分割支配を受けることになり、両国の勢力がぶつかり合う前線となりました。
民族解放運動
しかし1699年にヨーロッパ諸国とオスマン帝国との間に結ばれたカルロヴィッツ条約によりハンガリーはほぼ全域がハプスブルク家の支配下におかれることとなり、オスマン帝国からの支配からは解放されます。
その後ハンガリーではオーストリア・ハプスブルク家による支配に対し度々民族解放運動が起こります。当初はヨーロッパで高い影響力を誇っていたハプスブルク家による鎮圧を受けますが、19世紀中盤にさしかかりハプスブルク家の力が衰えるに従って民族解放運動・独立運動は活発化します。
こうした民族の動きを受け、オーストリア皇帝であるフランツ・ヨーゼフ1世は1867年に自らがオーストリア皇帝とハンガリー国王を兼任するという形でハンガリー王国の自治権拡大を認めました。
オーストリア=ハンガリー二重帝国という形をとることでオーストリア帝国は帝国の維持を実現し、ハンガリーでは独自の内閣や議会が置かれ自治権の行使が実現します。
さらにヨーロッパ各地での資本主義の影響を受け、19世紀末のハンガリーでも資本主義が浸透すると同時に民族主義の機運が高まります。ハンガリーの首都であるブダペストでは当時地下鉄が整備されるなどヨーロッパ有数の近代都市として栄えました。
第一次・第二次世界大戦
第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国は敗戦したことによりハンガリー国内で独立運動が活発化し、1918年11月16日にハンガリー人民共和国が誕生します。
国家として樹立したものの政権が不安定な状態が続き、ハンガリー人民共和国は短命に終わりますがそれに変わってハンガリー・ソビエト共和国が成立します。
さらにハンガリー・ソビエト共和国は1919年8月6日、ハンガリー国民軍の蜂起によって崩壊し、1920年3月1日にハンガリー王国としての成立が宣言されました。
ハンガリー王国もまた政権が不安定であった上に当時台頭したナチス・ドイツから軍事支援を受けるなど協調したことにより枢軸国としての立ち位置を確立していくこととなります。
第二次世界大戦でドイツの敗色が濃厚になるとハンガリー王国の摂政であるホルティが連合国側と単独講和を進めようとしますが、ナチス・ドイツから支援を受けていた矢十字党によるクーデターによりホルティは退位・亡命し、連合国との戦闘が継続されることとなります。
しかしその後もドイツの敗戦は続き、ソ連による反撃を受けたハンガリーの首都・ブタペストは1945年2月13日に陥落しました。
ハンガリーの矢十字党政府はハンガリー・ドイツ国境付近で戦闘を継続していましたが、1945年5月7日のドイツの降伏によって消滅します。
第二次世界大戦後のハンガリー
第二次世界大戦後、ハンガリー共和国が成立します。
しかしソ連の影響を受け国内では共産主義の機運が高まり、1949年にはハンガリー人民共和国が成立しました。
冷戦下での東側諸国の一員となったものの、ハンガリー国内ではスターリン主義者と非スターリン派による混乱が続きます。
混乱の中でハンガリー社会主義労働者党が新たに樹立され、ハンガリーは東欧諸国の中でも比較的経済が安定した国としての地位を築く一方で、1980年のソ連のゴルバチョフ書記長によるペレストロイカの影響を受け国内では民主化運動が活発化します。
こうしたハンガリーでの民主化運動はオーストリアとの間にあった「鉄のカーテン」の撤去など、東欧諸国での民主化運動を活性化させ、冷戦終焉の一連の流れを生みました。
現在ハンガリーは経済協力開発機構、北大西洋条約機構、EUの加盟国です。
ハンガリーの隣の国・ルーマニアのアンティークコインについてはこちら
現在のハンガリーの通貨
ハンガリーはEU加盟国ではありますが、国内で流通しているのはユーロではなく自国の通貨「フォリント(Ft)」です。硬貨6種類と紙幣6種類が使用されています。
- 5フォリント
- 10フォリント
- 20フォリント
- 50フォリント
- 100フォリント
- 200フォリント
- 500フォリント
- 1000フォリント
- 2000フォリント
- 5000フォリント
- 10000フォリント
- 20000フォリント
1フォリントの硬貨は存在せず、買い物の際には最終合計を5フォリントに繰り上げるか繰り下げるかによって支払いが行われます。
アンティークコインとは
以下ではアンティークコインとは具体的に何かを解説します。
発行から約100年が経過したコイン
「アンティークコイン」に明確な基準があるわけではありませんが、一般的には100年以上前に発行された、古代以降中世時代に製造されたコインという認識がされています。
しかし単に古いコインをさして「アンティークコイン」と呼ぶことも珍しくありません。
また、日本の大判・小判などの貨幣もアンティークコインに分類されることもあります。しかし別物として扱われることも多いため日本の大判・小判といった貨幣はその場での扱いを理解する必要があります。
アンティークコインにはさまざまな価格帯のものがあり、ニュースになるような数十億円の価格がつくものから数万円で購入できるものも存在します。特に世界中のアンティークコインのオークション情報を入手しやすくなった現在、アンティークコインはコレクターだけでなく投資家からも人気を集めています。
アンティークコイン以外のコイン
コインにはアンティークコイン以外にもさまざまな種類があるため、投資をする際には目的にあったものを購入しなければなりません。
以下ではそれぞれの特徴と発行目的を紹介します。
記念コイン
戦勝や国王の即位といった国家的な出来事や行事を記念して発行されるコインのことを記念コインと呼びます。
アンティークコインの中にも記念コインは存在し、非常に高い価値のあるものも少なくありません。
また、現代でも記念コインは日本を含め世界各国で発行されており、オリンピックなどの国際スポーツ行事開催を祝して発行されることもあります。
ただし、現代の記念コインは昔に比べて造幣技術が進歩したことにより大量生産されることも増えたため、希少価値はあまり高くならない傾向もあります。
地金型コイン
金や銀、プラチナといった貴金属を保管・換金しやすいコイン型にしたものを地金型コインと呼びます。金の延べ棒のようなものですが、コインと同様鑑賞面での価値を持つものでもあるためコレクターからも人気があります。
さらに地金型コインの価格は地金相場によって変動するものであって、希少性や歴史的価値はあまり重視されません。また、鋳造や流通コストがかかるものであるため購入時のグラムあたりの価格は相場よりも高くなるものです。
コインであることには間違いありませんが、地金型コインはあくまでも貴金属投資向けのコインであり、希少性や歴史的価値を重視するコイン投資とは異なる性質を持つコインと言えます。
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ハンガリーのアンティークコインに描かれている歴史上人物5人
以下ではハンガリーのアンティークコインに描かれている歴史上人物の中でも特に有名な人物5人を紹介します。
フランツ・ヨーゼフ1世
出生:1830
死去:1916年
在位:1848年12月2日 – 1916年11月21日
フランツ・ヨーゼフ1世は1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国を成立させた人物です。彼はオーストリア皇帝とハンガリー国王を兼任しました。
また、ハンガリー国王としてはフェレンツ・ヨージェフ1世と呼ばれています。
68年という長きに渡る在位期間とオーストリア、ハンガリーの両国民から絶大な尊敬を集めた皇帝であったころから「国父」と称される人物でした。
後継者であり最後の皇帝であったカール1世は在位期間が2年に満たなかったことから、フランツ・ヨーゼフ1世が実質的な最後の皇帝という考え方も存在します。
特に晩年はオーストリアの象徴的存在として「不死鳥」とも呼ばれるほど人気のある国王でした。
ちなみにミュージカル等で知られるエリザベートはフランツ・ヨーゼフ1世の皇后です。
フランツ・リスト
出生:1811年
死去:1886年
フランツ・リストはハンガリーを代表する作曲家・ピアニストです。
「ラ・カンパネラ」「マゼッパ」「愛の夢」などの名曲で知られている人物でもあります。
「フランツ・リスト」という活動名義から伺えるように、両親の血統といった彼自身のルーツはドイツにも存在します。また、彼が最も長く活動した国もドイツである上に生涯ハンガリー語を習得することはありませんでした。
しかし彼は自分の出生地であるハンガリーに自身のアイデンティティーを抱き、ハンガリーを「祖国」と呼んでいたことから現在も世界的に「ハンガリーの作曲家」として認識されています。
彼はピアニストとしてスター的な存在であり、演奏会では多くの女性が失神したという逸話も残っているほど多くの女性を魅了した人物である反面、聖職者としての一面も持つ人物です。
なお、彼の生誕200年記念にあたる年にはハンガリーの首都ブダペストにある国際空港の名前がリスト・フェレンツェに改称されました。
マリア・テレジア
出生:1717年
死去:1780年
在位: 1745年9月13日 – 1765年8月18日
マリア・テレジアはオーストリアの君主であり実質的な女帝として知られている人物です。ハプスブルク家男系最後の君主であり、当時のヨーロッパに多大な影響を与えました。
政治家として辣腕を振るう女帝である反面、夫フランツ・シュテファンは初恋の人であり王族としては珍しく恋愛結婚で結ばれたことから夫婦関係は円満だったと言われています。
フランツ・シュテファンは時折他の女性と浮気をすることもありましたが、二人の間には男子5人、女子11人の16人の子供が生まれました。
二人の子供の中にはフランス国王ルイ16世の王妃であり、フランス革命で処刑されたマリー・アントワネットがいます。
さらにマリア・テレジアは夫の死後、自身が持っていた女帝としての衣装や装飾品を全て手放し、自身が死ぬまで喪服を着続けたと言われています。
レオポルト1世
出生: 1640年
死去: 1705年
在位:1658年 – 1705年
ハプスブルク家第10代神聖ローマ帝国皇帝であるレオポルト1世は当時猛威をふるっていたオスマン帝国からハンガリーを取り戻し、領土を拡大させた人物です。
オスマン帝国と勢力を伸ばしていたフランスに圧迫されていたハプスブルク家の大国復興の足がかりを築いたことから尊敬を集めました。
さらに優れた作曲家としての一面も持っていることから「バロック大帝」と呼ばれることもあった人物です。
有名なハンガリーのアンティークコイン3つ
以下ではハンガリーのアンティークコインの中でも特に有名なものを3つ紹介します。
フランツ・ヨーゼフ1世 100コロナ金貨 リストライク
リストライクとは発行された当時の金型を使用した上で新たに発行することや、新たに同じ金型を制作した上で発行されたコインのことを指します。簡単に言えば復刻版・再鋳貨版です。
この金貨は1908年のフランツ・ヨーゼフ1世の金貨のリストライクであり、第二次世界大戦後に発行されました。
あくまでもリストライクであり、元となったコインとは異なるものですが数百万円以上の価格がつくことも珍しくありません。
同時期にオーストリアでもフランツ・ヨーゼフ1世の金貨のリストライク金貨が発行されていますが、ハンガリーのものとは異なるデザインで描かれています。
フランツ・ヨーゼフ1世の右向きの横顔が描かれたものがオーストリアのコイン、全身像が描かれたものがハンガリーのコインです。
フランツ・リスト 500フォリント金貨 音楽家 生誕150年記念
これはハンガリーを代表する作曲家・ピアニストであるフランツ・リストの生誕150年を記念して発行された記念金貨です。リストの右向きの肖像画が描かれています。
ハンガリー 500フォリント 金貨 音楽家 バルトーク生誕80周年記念
バルトークはハンガリーの作曲家・ピアニスト・民俗音楽研究家です。作曲家としても非常に有名ですが、民俗音楽学の祖の一人でもあり東ヨーロッパの民俗音楽の収集・分析を熱心に行いました。
ハンガリーのアンティークコインの平均落札価格
アンティークコイン投資では相場の把握が非常に重要になってきます。
相場を正確に把握できなければ利益を出すことは難しくなるため、特に購入・売却時には世界中のオークション情報をチェックするようにしましょう。
一般的なアンティークコインの平均落札価格
オークションサイトによって異なりますが、一般的なアンティークコインの平均落札価格は10000円前後となっています。
需要が高く、希少性の高いコインほど高値がつくものです。
従ってアンティークコインの相場価格はオークションでの平均落札価格やコイン専門業者、愛好家による評価で決まります。
もちろんさまざまな金額のものがあるため、平均価格よりも安く購入できるものも少なくありません。投資をする上では無理をして高価なものを購入するのではなく、予算に見合ったものを探すようにしましょう。
コイン投資では高額なアンティークコインを購入しなければならない?
オークションでのニュースでは何千万円、何億円といった価格がついた落札事例が目立つものですが、アンティークコイン投資では高額なコインを購入しなければならないというわけではありません。
アンティークコインの希少性は時間の経過と共に上がっていくものなので、高価なものを購入することよりも価値が上がるのをじっくりと待つことの方が重要です。
ハンガリーのアンティークコインは将来性がある
数あるアンティークコインの中でも特にハンガリーのものに限ると、ハンガリーのアンティークコインの平均落札価格は10,000円前後です。
オーストリアとの間に密接な関係があるだけでなく、東欧諸国に多大な影響を与えてきた歴史を持つハンガリーのアンティークコインは今後も人気が高まることが予想されます。
時間が経つに従って希少性が上がっていくものであるため、将来の価値を期待するのであれば「今が一番安い」と考えた上でコインを購入することをおすすめします。
アンティークコイン投資で成功する方法を知りたい方はこちらの記事も参考にしてください。
アンティークコイン投資でおさえておきたい経済用語
貨幣である以上、コインの価値はその時代の経済状況に影響を受けながら決まります。
経済用語を理解することで、コインの希少度や価値をおおよそ予想できるようになるでしょう。
以下ではコイン投資をする上でおさえておきたい経済用語を一部紹介します。
ハイパーインフレ
インフレとは物価が継続的に上昇することを指します。適度なインフレは経済が活性化していることを表すこともある反面、労働者の賃金の上昇を伴っていないインフレの場合は生活が圧迫される恐れがあります。
景気の拡大を示すインフレ率は1〜3%と言われています。
特にインフレの中でも物価が極端に上昇する現象のことをハイパーインフレと呼びます。ハイパーインフレの状況下では物価が暴騰すると同時に貨幣の価値が急落するため通貨としての信用を失う恐れがあります。
2008年のジンバブエで起こったハイパーインフレが有名な事例です。当時のジンバブエでは過度な紙幣発行によって貨幣の価値が暴落し、国内が混乱する事態となりました。
デノミネーション
通貨の呼称単位の切り下げ、あるいは変更することをデノミネーションと呼びます。
インフレによって表示される金額が大きくなりすぎると計算がややこしくなるなど経済活動をする上でさまざまな問題が起こります。デノミネーションはこうした問題を解決するために取られる措置です。
先のジンバブエではハイパーインフレの事態を収拾するために何度もデノミネーションが行われました。
しかし混乱を鎮めることができず、ジンバブエでは2009年から複数外貨制を導入することとなります。米ドルと南アフリカランドが国内で流通し、ジンバブエドルは廃止に至ることでハイパーインフレの混乱は終息しました。
ハンガリーでも第二次世界大戦後の1946年8月に1000,000,000,000,000,000,000,000,000ペンゲーを1フォリントにするというデノミネーションが行われました。
ドル化
米国以外の国で米ドルが通貨として使用されることをドル化と呼びます。ジンバブエでもハイパーインフレの事態を収拾するためにドル化がされました。
ドル化には非公式なドル化と公式なドル化があります。
非公式なドル化はアメリカ政府そのものはドルが法定通貨として使用されることを認めていないものの、米ドルが貯蓄・投資・決済といった経済活動で使用される状態のことを指します。新興国などで自国の政府や経済に対する国民の信用が低下したことにより国民が米ドルを使用し始めるなど自然発生的に生まれる現象が多いです。
公式なドル化は文字通りアメリカ政府に認められた上で行われるドル化のことを指します。
その国の貨幣の歴史を語る上で重要な概念であるため、コイン投資の際には必ずおさえておきましょう。
為替介入
相場に影響を与えることを目的とした上で各国の通貨当局が外国為替市場において外国為替の売買を行うことを為替介入と呼びます。
2022年に起こった急激な円安時には、これに対応するため24年ぶりに当時の日銀の黒田総裁によって行われたことが話題になりました。
為替介入は貨幣の価値を左右する可能性のある行為と言えます。
金本位制
貴金属の金を価値基準とする制度のことを金本位制と呼びます。1816年にイギリスで始まったものであり、各国の中央銀行がいつでも交換できることを保証するため発行した紙幣と同額の金を保有するというものでした。
19世紀から20世紀はじめあたりまで世界中で取り入れられてきた制度ですが、1929年にアメリカでの株価暴落を発端に始まった世界恐慌以降廃止が進められました。
金本位制が廃止される一方で生まれたのが管理通貨制度です。管理通貨制度は中央銀行が保有する金の量とは関係なく自国の経済状況を鑑みた上で発行する通貨量をコントロールするというものであり、現在も多くの国で取り入れられている制度です。
まとめ:ハンガリーのアンティークコインは世界的に人気がある
ヨーロッパで勢力を誇っていたオーストリアと密接な関係があるだけでなく東欧諸国に影響を及ぼした歴史を持つハンガリーのアンティークコインには世界的にも有名な歴史上人物が描かれていることも多いことから非常に人気があります。
将来希少性が上がるに従って価値も上がっていくことが予想されるため、コイン投資を考えている人はハンガリーのアンティークコインもチェックしてみてください。
マネートレンドnaviではハンガリーをはじめとする投資に役立つアンティークコインに関する情報を配信しています。
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