モンテネグロは2000年代に独立した比較的新しい国ですが、多くの国に支配された歴史的背景の豊かな国です。それぞれに独特の通貨が存在し、中には1,000万円もの値がつけられた稀少な物も存在します。
この記事ではそんな同国のアンティークコインについて、歴史を振り返り、有名なものを3つご紹介いたします!
モンテネグロの概要
モンテネグロはヨーロッパ東部・バルカン半島の中部、アドリア海沿いにある国です。
現在のモンテネグロ共和国は、人口は62万人ほどの小さい国で、2006年にセルビアから独立してできた新しい国でもあります。
それ以前は1000年以上に渡り独立と他国の支配下を繰り返した歴史を持っており、40代以上の方であればユーゴスラビア連邦を構成していた地域の一つというイメージを持つ人も多いでしょう。
現在でも南東のアルバニア以外の隣国はクロアチア、コソボ、セルビア、ボスニア・ヘルチェゴビナといった旧ユーゴ圏内の国で、今でも結びつきの強い国があります。
モンテネグロの歴史
モンテネグロはかつては同じ国だったセルビアをはじめ周辺諸国の影響を受けた歴史を持っています。
古代からの流れを簡単にまとめて以下にご報告いたします。
古代から中世
古代、現在のモンテネグロにはイシュリア人が住んでいました。
その後紀元前4世紀頃からギリシア人の植民地が建設され、さらに紀元前2世紀には古代ローマの支配を受けることとなります。
紀元後2世紀のローマの東西分割後もバルカン半島は東ローマ帝国に属したため、ゲルマン人流入の影響で混乱し短期間で崩壊した西側と違い、比較的安定した社会を維持していました。
しかし、6世紀になるとスラブ人がバルカン半島に住むようになり、10世紀までにドゥクリシャ公国という半独立の国を形成するようになります。
そして1360年にゼタ独立公国として東ローマ帝国より独立。以後100年以上に渡り、現在のモンテネグロにあたる地域を統治し続けます。
近世:オスマン帝国とモンテネグロ主教領
15世紀になるとモンテネグロの他のバルカン半島の地域と同様、トルコのオスマン帝国から侵略を受け、大半の地域は支配下となります。
その後200年近くオスマン帝国支配下の状況が続きますが、1696年にモンテネグロ主教領としてオスマントルコの属国の立場ではあるものの地域的な独立を回復します。
モンテネグロ公国としての独立
1852年、主教公となったダニーロ1世は結婚して領地を世俗的な国とし、モンテネグロ公国として独立を果たします。
ダニーロ1世は1860年に暗殺されてしまいますが、統治を引き継いだニコラ一世はセルビアやロシア帝国都同盟を結んで1876年にオスマン帝国を打倒。
アドリア海沿岸地域を中心に領土を2倍に拡大します。
1878年には国際的に独立が認められ、1905年には憲法も制定、モンテネグロは公国から王国に昇格しました。
そしてモンテネグロ王国は、1913年のバルカン戦争でもオスマン帝国を妥当し、現在のアルバニアにあたる地域にも領土を獲得します。
第一次世界大戦
しかし繁栄は長く続かず。領土を獲得しても大国の意向で長く保持できない状況が続いていました。
そして1914年から始まった第一次大戦では、北方の大国・オーストリア=ハンガリー帝国はモンテネグロ公国を含むバルカン半島各地へと侵攻を開始。
モンテネグロは2年に渡り激しく抵抗するものの、最終的には1916年1月に占領されてしまいます。
その後モンテネグロは解放されますが、オーストリア軍を撃破したのは隣国のセルビア軍でした。
セルビアは1918年11月29日にモンテネグロを統合し、その後ユーゴスラビア王国の一部となりました。
ユーゴスラビア連邦時代
ユーゴスラビア王国は、第二次大戦ではナチスドイツやイタリアのファシズム政権を始めとする枢軸国からの侵攻を受けます。
モンテネグロにあたる地域では、イタリアの占領下に置かれ、傀儡(かいらい)政権として王国が再度建国される予定でした。
しかし王位につく予定であったミハイロ・ペトロビッチ(ニコラ一世の孫)はその打診を拒否。
各地でパルチザンの抵抗にもあい、王国建国は断念されました。
なおもドイツとイタリアによる占領は続きましたが、1944年にヨシップ・チトー率いるパルチザン軍が完全に撃退し、ユーゴスラビアは解放されます。
ユーゴスラビアは各民族の国の連合体である連邦制国家として戦後を歩むことになり、モンテネグロも構成国の一つであるモンテネグロ人民共和国として再編成され、冷戦期を過ごすことになります。
以後は40年は東側の社会主義の国家として歩むことになりますが、ソ連とも一定の距離を置く独立性の高い国家として歩むことになります。
ユーゴ内戦と88年ぶりの独立
1980年代になると東側のヨーロッパの各国で共産主義政権に対する反発が高まり、多くの国で資本主義の導入や民主化が進むことになります。
ユーゴスラビアでも例外ではなく、1992年に共産党が崩壊します。
しかし元々「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ多くの民族が紛争を挙げていたバルカン半島にあるユーゴスラビアは、各民族が独立を求めて動くようになり、泥沼の内戦状態に陥ってしまいます。
長年にわたる内戦の末、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルチェゴビナ、北マケドニア(当時はマケドニア)が独立。
2003年にはユーゴスラビアはセルビア・モンテネグロに改名することになります。
そして2006年にモンテネグロは、88年ぶりとなる独立を果たしました。
独立後のモンテネグロ共和国は西欧諸国や米国との関係を重視する外交を行っており、2017年にはNATOに加盟。加盟はしていないもののEUとの結びつきも強く、通貨もユーロが導入されています。
モンテネグロの代表的なアンティークコイン3選
現在のモンテネグロ共和国は21世紀になってから独立した国であり、通貨もユーロが導入されているため、独自性のあるコインの数は残念ながら多いとは言えません。
しかしかつて支配したモンテネグロ王国やその跡を継いだユーゴスラビア王国、またモンテネグロ地域に進出した国家のアンティークコインはいくつか残されており、中にはヨーロッパ全体を見ても貴重なものも含まれています。
その中から代表的なものを3つご紹介します。
なお地域によっては隣国の影響も強く受けるため、ここで紹介する以外の貴重なアンティークコインがモンテネグロのものとして紹介されることもあるかもしれません。
その一つであるアルバニアのアンティークコインについて詳しく知りたい方は、アルバニアのアンティークコイン7選を深堀解説|人気の秘密と購入方法の記事をチェックしてください。
モンテネグロのアンティークコイン|ニコラ1世 100ペルペラ金貨
モンテネグロを国際的に独立国として認めさせたニコラ1世の肖像画が表面に描かれた金貨です。
ニコラ1世は一代限りの国王ではあったものの、公国時代から長年にわたって国政を高めることに注力し、現在のモンテネグロ共和国の国歌も作詞したことから国民に広く親しまれる人物でもあるといえるでしょう。
この金貨は直径38mmと比較的大きいもので、コレクターからは「20世紀を代表する大型金貨」として親しまれています。
また発行枚数も発行された年にもよりますが数百枚ほどしか存在しない貴重品。
オークションでは1,000万円もの高額がつけられたこともある、価値の高い逸品です。
モンテネグロのアンティークコイン|ユーゴスラビア王国アレクサンダル1世 ユーゴスラビア国王 20ディナール金貨
モンテネグロを統合したセルビア王国、後のユーゴスラビア王国のアレクサンダル1世の肖像画が描かれたアンティークコインです。
アレクサンダル1世はユーゴ地域の統一を掲げてオーストリアに抵抗し勝利を収めた功績があるものの、セルビア人の専制体制を強いてクロアチア人をはじめとする諸民族との対立を招き、最終的には1934年に暗殺される末路を辿ってしまいました。
功罪ある人物と言えますが、ユーゴ圏内の統治の難しさを物語るには欠かせないと言え、この地域の歴史に興味のある方なら手に入れてみてはいかがでしょうか。
日本での流通量の少ない金貨ではありますが、スペースインターナショナル株式会社が運営するオンラインショップより取り寄せで25万円ほどで手に入れることができます。
モンテネグロのアンティークコイン|ナポレオン1世 10フラン銀貨
モンテネグロのアドリア海沿岸にある都市・コトルは、かつてヴェネツィア共和国をはじめとする多くの国の支配を受け、美しい風景と街並みから世界遺産にも指定された同国を代表する観光地として知られています。
そんなコトルの歴史でも特筆されるのは遠く離れた、フランスからの支配を受けた歴史があることです。
フランス革命の中から台頭したナポレオン1世は欧州各地に侵略を始め、バルカン半島も攻略対象となり、コトルも1810年から1814年までフランス帝国イシュリア州として支配を受けています。
ただその当時の戦況はフランス軍に不利な状況であり、都市はイギリス軍をはじめとする半ナポレオン軍によって包囲状態にありました。
そんな状況下で銀器を素材にして作られたのが、上写真のアンティークコインです。
裏面には「CATTARO EN ETAT DE SIEGE(包囲状態のコトル)」という文章がマスケット銃と大砲、レイピアが交差された中央のシンボルを囲むという形で示しており、当時のコトルが包囲された苦しい状態にあることを示しています。
しかし表面は対照的に、ナポレオンの「N」の文字や王冠、「DIEU PROTEGE LA FRANCE(神はフランスを守る)」という文章が刻まれており、何がなんでも守り抜こうという当時のフランス軍の強い士気を感じされるものになっています。
結局はフランス軍は降伏し、コトルはオーストリア帝国領として第一次大戦まで支配を受けることになりますが、このコインは革命によって得た自由を欧州各地に伝えようと奮闘した当時のナポレオン軍の意志を感じされる逸品といえるでしょう。
\ ここでお知らせ /
資産運用をしたい方必見!
インフレ時代を乗り切る強い味方とも言える「アンティークコインでの資産運用」について、
アンティークコインの魅力や市場価値・過去10年間の価格推移などについて詳しく解説しております。
モンテネグロのアンティークコインを購入する方法
モンテネグロのコインは国自体が新しく、以前支配した国であっても比較的流通量の少ないコインが多いため入手する方法は限られます。
ただアンティークコインを入手する方法としてはいくつか方法があり、根気よく探せば見つかるかもしれません。
以下に代表的な3つの方法をお伝えします。
コインショップ
アンティークコインをはじめとする現物投資は、対象となるものの状態が気になるという方も多いかと思います。
また知識がない方はどういうものを選べばいいか不安になる方もいらっしゃることでしょう。
そんな時に頼りになるのが、街の中にあるコインショップ。
店頭に並べられた商品を実際に現物を手にとってみて傷やこすれ具合などをチェックすることができますし、知識豊富な店員に話を伺うことも可能です。
ただし他の方法と比べて手数料は高めで、またモンテネグロのアンティークコインのように珍しいものを扱っているショップは多くありません。
そのため、事前に扱っているかをショップのホームページなどをみてチェックして出向くようにしましょう。
ネット通販
アンティークコインの販売元としてはネット通販も有力な手段です。
上記のコインショップのほか、楽天やメルカリなどの大手ECサイトでもいくつか取り扱いがあります。
メリットは多様な商品を見つけ出すことができること。
ネット検索を使えばモンテネグロの金貨のように希少価値の高い物も探り当てることができ、うまくいけば在庫のある店を探して購入することも可能です。
大手ECサイトであれば普段のネット通販と同じように購入でき、ポイントも貯まるというのも魅力と言えるでしょう。
ただ在庫を手にとってみることはできないため、商品の説明文や写真をよく読んだ上で状態をチェックする必要があります。
特に偽物の取引が行われることも稀にあるため、プロによる鑑定をしっかり行っているか、証明書はあるかはしっかり把握するようにしましょう。
特にフリマアプリなどで取引をする際には、メールや電話などでコンタクトを取るなど、慎重に取引を進めるようにしてください。
オークション
また世界各地やオンライン上で開催されているアンティークコイン専門のオークションも購入方法としてメジャーなものの一つです。
魅力はなんと言っても、手数料の安さ。
コイン流通の川上に近いため、代理人の手が加わるネット通販やコインショップと比べて2~3割、うまくいくと50%ほど調達コストを下げることが可能です。
また世界各地で行われているので海外の希少なものを入手しやすいというのもメリットといえるでしょう。
ただし人気のものは競争も激しいため価格が急騰しやすいため、通常の相場や予算感には十分気をつけて取引を進めるようにしてください。
まとめ|モンテネグロのアンティークコインは欧州でも稀少性が高く今後に期待
モンテネグロは現在の国になってからは20年に満たない歴史しかない新しい国ですが、かつて支配した国を含めれば1000年以上にわたって独立と大国の支配を繰り返した歴史的背景の豊かな地域でもあります。
そのため東ヨーロッパ全体の歴史に思いを馳せることができるアンティークコインがあるというのが特徴と言えるでしょう。
記事でも紹介したように、稀少性の高い貨幣もあるので、ヨーロッパの一味違うものが欲しいと考えているコレクターや投資家の方におすすめです。
当社ではモンテネグロだけではなくさまざまな国のアンティークコインの情報を取り扱っています。詳しくはこちらのページより各国の情報を確かめてみてください。
また当社LINEではさまざまな現物投資の最新情報を発信しています。
興味のある方は是非ともこちらよりお友達登録してみてはいかがでしょうか。